やりがいという弊害
たい企業トップは「タニタ」 「賃金」より「やりがい」、「安定」を重視=日本法規情報
http://www.zaikei.co.jp/article/20140504/191749.html
この記事を見てなんとなくどうしても気になることがあった。
働く理由を「お金を稼ぐため」というとすごく汚く見えるのはなぜだろうか。
「安定」を求めるのは最近のマスコミの不景気煽りを見ている人たちなら仕方ないのかとも思うが、私は別に仕事にやりがいは必要ないと思っている。
いや、言い方は悪いが、もちろんやりがいがあるに越したことはないが、必ずしもやりがいのある仕事をしなければならないとは思わない。
この話をするにあたって言いたいことは以下の本に記載されている。
あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。
- 作者: 日野瑛太郎
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2014/01/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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まぁただこの本は買わなくれも興味を持ったら著者のブログを読むとよいだろう。ブログに大体のことが書いてある。
私の言いたいことは大体がこの本とこの著者のブログに書かれているので省略しておく。
ここで私の体験談を軽く話しておく。
私は就活中、SEを中心に説明会等に参加していた。
そこでよく「平均の残業時間」や「普段の帰る時間」、「一番多く残業した月はどれくらいだったか」等を説明会で社員に聞いていた。
そうすると基本的にはしっかり平均時間や繁忙期の忙しさ等をしっかりと答えてもらえていたのだが、いくつかの会社はやたらとはぐらかしてきた。
「忙しいときもあれば忙しくないときもあるから平均なんて意味がない」「普通に基本的には終電までには帰れているしそんなに大変だとは思わない」等々の返答をされる会社がしばしあったのだ。
私はそういった会社は一切受けなかった。
まず、会社として基本的に平均残業時間は計算しているはずだ。労働基準法に違反していないか等を上がある程度把握するために、詳細は知らなくても全体がどうなっているかを見る指標として必要であろう。
また、「平均の意味がない」の意味が分からない。
繁忙期に月100時間残業したとしても、普段は月10時間や20時間だという会社と、普段も月60時間や70時間であるという会社とでは全く違う。それを聞きたいのに平均を出せないとする会社はいかがなものか。
次に、「大変だとは思わない」は、大変か大変じゃないかはあくまで主観でしかない。そもそも会社にいるのが好きな人は毎日終電でも辛くはないかもしれないが、普通の人は辛いであろう。
就活をしている人は、社員のワークライフバランスをはぐらかしてやたらと「やりがい」や「成長」を推してくる会社には注意したほうがいいだろう。
以上
五月病を大切にしよう
GWも最終日となった。
今年は11連休にしている人も多いのではないだろうか。
私は残念ながらカレンダー通りに出勤していた。
「五月病」という言葉がある。
Wikipediaによると、
『五月病(ごがつびょう)とは、新人社員や大学の新入生などに見られる、新しい環境に適応できないことに起因する精神的な症状の総称である。 』
とあるが、まぁとりあえずGW明けに会社に行きたくないというやつである。
私は常に会社に行きたくないので、そもそも五月病にかかったことはないのだが、GWに限らずお盆や年末年始明けはどうしても会社に行きたくないと思うものである。
私はこの「会社に行きたくない」という気持ちを大切にしようと思っている。
私の夢は「働かずにある程度のお金を手に入れて悠々自適に生活したい」なので、その夢は働いていたら実現しない。
「会社に行きたくない」というのは非常にネガティブな気持ちであるが、私はそれを原動力として日々やりたくない勉強をしている。
皆、やりたいことをして生活したいはずである。
もちろん、仕事が好きな人はそれでよい。
ただ私は仕事が嫌いだ。
世間一般には嫌いな人のほうが多いと思う。
それを「あぁこんなことを思っていたらダメだ。仕事をしないと。」とするのではなく、私は「やっぱり会社には行きたくないな」として、じゃあ会社に行かなくするためにはどうしたらよいかを考えるようになる。
こういったネガティブな気持ちを原動力に変えるのも一つの手ではないだろうか。
だから私はこの五月病を大切にしたい。
以上
やっぱり日本の就活はどこかおかしい
5月に突入したが街ではリクルートスーツを着た学生が片手に地図を持って歩いているのをまだまだ見かける。
早い人はもう内定をもらって卒業研究で忙しかったり学生最後の年だと言って遊んでいるのではないだろうか。
私も数年前には就職活動をしていた。
私はなかなか内定がもらえずに結局7月や8月までかかってしまった。最終的には一般的には大企業と呼ばれるSEの会社に決まったのだが、まったく満足していない。
夏の暑い中、真っ黒なスーツに身を包んでネクタイを縛り会社に行くのはなかなかつらかったし、学会発表や修士論文のための研究も進められなかった。
そして何よりつらかったのは、会社に入ってから社員に絶望したことである。
私は理系の大学院で情報系の研究をしており普通にプログラミングをしていたが、周囲の友人には自身で作ったプログラムを公開したり自分で活用したりしていた人が多く、私はどちらかというとプログラミングが苦手だと思っていた。
就活中もプログラミングはそこまで得意ではないと面接では言っていた。
しかしながら実際に会社に入ってみて思ったのは、やっぱり面接だけでは人はわからないということである。
まずびっくりしたのが、同期にこの年齢になってもまだキーボードを人差し指でゆっくり入力している人がいたことである。もちろん普段の生活でパソコンもあまり触っていないらしく、なぜSEになろうと思ったのか甚だ疑問であった。
そして実際に研修ではITに関しては基礎的なことしかやらず、正直なところ全て大学で学んだことなのでIT研修は何一つ学ぶことがなかった。
そして現場に配属されて数か月したときにはプログラミングを先輩に教えるという謎の状況が発生してしまった。どうやら、私が苦手と思っていたプログラミングは世間的にはかなりできる分類だったらしい。
私が配属されたのは社内でも人気の部署で倍率も高かったが、運よく入ることができた。そこには同期があと数人配属されたのだが、不思議なことに研修中に何度か遅刻をし、居眠りも多く、パソコン操作すらままならない女性の同期が同じ部署に配属されたのである。
その女性に話を聞くと、「10分や20分の面接は得意」らしいのである。どうやら30分程度の面接となると限界でボロが出るらしいが、それまではまじめな印象となるらしいのだ。
実際に配属後に人事に話を聞く機会があった。その女性の配属希望の面談をしたのはどうやら新人研修にはあまり参加をしていなかった人で、初めて会話をしたらしく、その女性に対しては非常にまじめな印象を受けたらしい。
この話を聞いて、私は所詮面接だけでわかることなど非常に少ないのだと悟った。
また、その女性は大学の1年の必修でC言語を学んだらしいが、単位を落して2年でとったらしい。それを面接では「プログラミングを2年間やっていた」と言っていたらしい。
間違ってはいないがものはいいようだなと思った。
また、本人が自慢の「コミュニケーション能力の高さ」も甚だ疑問である。確かに話すのは好きらしくよく人と笑いながら立ち話をしているのを見かける。しかし仲いい人もいれば、毛嫌いしてまったく声もかけない人もいる。一度同じ案件をやったことがあるが、その上司が苦手だったらしく、報告もまったくせずに何を話するにしてもメールか私を通していた。
一言で言えば単なる「お調子者」だったのである。
実際に研修中に同期を見ていたが、一般的に「コミュニケーション能力」が高いと言っている人たちを見ていても、人の好き嫌いで研修中に一度も話さなかった人がいるという人が多かった。
また、同期に非常にまじめだがちょっと生真面目すぎるタイプの外見がいわゆるヲタクタイプがいたのだが、その人に対して陰でバカにする人が多くかった。ここは中学校かと思ったくらいだ。
社員に失望はしたが、それよりもやはり面接という短時間の会話だけでは人は見抜けないのだなと思った。
私の勤務している会社を大学の同期や後輩が受けて落ちたという話を何度か聞いている。今すぐに会社の同期や後輩と変えてもらいたいくらいだ。
大学の友人で私が面接で落とされた会社に勤めている人がいるが、彼らも会社に入ってから口をそろえて同じように今すぐうちの同期でも先輩でもなんでもいいからお前と交換してほしいと言われた。
これらはもちろん友人というひいき目があるのだろうが、それでもやっぱりなぜあいつが落とされてあいつが採用されているんだということは非常に多い。
よく、最近の若い社員が使えないという話を聞くが、それを下に文句を言うならその使えない社員を採用した人に文句を言うべきではないだろうか。
そして今後そのようなことがないように改善すべきなのではないだろうか。
そうするとすくなくとも使えない社員が入ることは減る気がする。
どの世代にもまじめでしっかり者で仕事ができる人は一定層は存在するのである。
以上
部屋着で生活してはいけない
春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、正直GWみたいな連休にずっと寝ている人もいるのではないだろうか。
私はGWは予定ができてしまったのでだらだら過ごすこともできなくなってしまったのだが。
さて、意識高くない系のみんなは普段、休日は家で引きこもってネットやゲーム、たまに勉強といった休日を過ごしている人が多いのではないだろうか。
私はそうだ。
そうしたときに皆はどういった服で生活しているだろうか。
私は実家でも一人暮らしでもよくパジャマで生活していた。何より「楽」である。
しかし、この服装がいまいちやる気の出ない原因の一つなのである。
部屋で勉強するにあたって気を付けることは、
・周囲の環境
・他人の目線
・格好
だと私は思う。
周囲の環境は一番わかりやすい。
たとえば、周りにマンガやゲーム等を置いた状況では私は絶対に途中で手が止まってしまう。周囲にいろいろなものが転がっているとどうしてもそちらに目が行ってしまう。
だから試験前に勉強をしようとしてなぜか部屋の掃除をしていたということがあると思うが、私はそれでいいと思っている。汚い部屋では勉強は進まない。
他にも実家暮らしで家族が騒いでいたらやはり勉強ははかどらないと思う。周囲の雑音等はどうしても気になってしまう。だから実際には勉強時に音楽を聴くのもあまりよくないと思っている。聞くならば日本語の歌詞が入っていないもの(単なるBGM等)がよいであろう。
どうしてもそういった環境を用意できないならおとなしく図書館にでもいったほうがいいと思う。
次に他人の目である。
人は一人だとどうしても怠けてしまうと思う。
私も普段は部屋が汚いが、友人や恋人が来るとなれば丁寧に掃除をする。
また、最近は必ず週末に掃除をするようにしていつ急な来客があってもよいようにしている(基本的にぼっちなのでそのようなことはないのだが…)。
そういったように、他人がいる環境で格好をつけるために何かをするのはあると思う。
勉強も同じようなものだ。
たとえば実家暮らしで居間等で勉強をする人もいるだろう。また、スタバ等で勉強をしているいわゆる「意識高い系」もいる。
これらは実は方法としては悪くない。
というのも、人の前で勉強をすると、真面目にやらないとと思うからである。なにより、10分やそこらでやる気をなくしてケータイを触ったりしていると非常に「ダサい」。
10分やそこらで集中していないとなると、居間で勉強している人は親に逆に「勉強していない」というイメージを与えてしまうし、スタバで勉強している人は周囲に「格好つけに来た」と思われてしまう。
それが嫌な人は多いと思う。
なので人前で勉強をすることは、「どうしても勉強をやらざるを得ない状況」に持ち込む一つの方法ではないかと思う。
最後に格好である。
これは、まずどうしてもパジャマや部屋着ではやる気が出ない。
そもそも、そういった服装は寝るとき以外は着るべきではない。パジャマはあくまで「休むための服装」とすべきである。その切り分けができていないと、いざ勉強となってもどこか気持ちが付いてこない。
ちなみにこれは逆もあるのである。
普段着としてパジャマを着て一日を過ごしていると、パジャマは「休むための服装」ではなく、「活動する服装」という位置づけになってしまい。布団に入っても脳が「まだ活動をしよう」と勘違いしてしまうのである。
逆に家でも外出用の服装を着ていると少し違う。
最悪一人暮らしならスーツを着て勉強してはどうだろうか。少なくとも途中で寝転がろうなどは思わないはずだ。もちろん私はそんなことやったことないが。
服装によって今何をしているかをはっきりと区別するのは必要なことなのである。
普段勉強が進まない、でもやらなければと思う人は以上の3点を気にしてみたらどうだろうか。
最初は服装の話をするはずが気づいたら勉強をやる気出すにはに変わってしまった。
そんなこともある。
以上
- 作者: 山崎拓巳
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モチベーションを保つために
意識が高い系の人は普段からモチベーションが高く、常に自己研鑽をしている(と私は思っている)
しかしながら、意識の高くない系の私はどうしても常にモチベーションを保つことができない。
たとえば資格試験を申し込んでも最初の数日は勉強をするのだが、のちにやらなくなり、そして直前になってから焦って勉強し何も身につかないうちに試験当日となり、試験が終わるとそれまで勉強したことを忘れてしまう。
たとえばそもそも会社に強制されてとりたくもない資格をとらされる場合はもちろんモチベーションなど最初からないのだが、なんだかんだ自分でとろうと思った資格でも途中で勉強に飽きてくるのだ。
こういったときは私は最近、そもそも何のためにその勉強をしているのかを考えることにしている。
それをたどっていくと、私の場合はたいていがお金のためや自由のためである。
ちなみに私は下のようなパターンが多い。
お金がほしい
↓
起業するか転職するかとりあえず昇格したい
↓
その能力が足りない
↓
とりあえず資格を取ってみよう
↓
勉強
しかし、実際に勉強のモチベーションがないときは大体が勉強とその資格までしか意識が回っていない。そこで、一番元となっているところを意識できるようにすることにしてみた。
すると自然とモチベーションが常にではないが、ある程度は保てるようになってきた。
もちろんその元のところまで意識し続けるのは難しい。
そのためには私は元となるものを意識できる場所に行って気分転換をしたりその場所で勉強をする。
たとえば、大金を手に入れたら何をするかを想像し、その通りに行動してみることで、あぁやっぱりこうなるためには実際に行動しなきゃなと思うのである。
実際に私がたまにやっているのは、休日に一番いい服を着てお金持ちが多そうな場所(田園調布など)を散歩する。
そして普段なら絶対に入らないであろう少し高めのお昼を食べ、近くの公園により、そこで本を読む。もちろんその本は漫画等ではなく、少し難しめの本である。
そうしている間だけは、私はお金持ちであると思い込むのである。もちろん財布にはある程度お金を入れておく。
たったこれだけのことでそのあとの気分は大きく変わる。
ずっと同じ部屋で目先の勉強だけをひたすらに続けられる人はすごいと思うが、それができない人は以上を試してみるのも一つの手だと思う。
以上
強力なモチベーションを作る15の習慣 (フォレスト2545新書)
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そもそも仕事に何を求めるのか
「飲み会は残業代出ますか?」20代社員のイラッとする一言
これを見て少し意見をしたくなった。
私はさすがにこんな発言はしない。
そもそもお酒が好きなので飲み会には必ずといっていいほど参加する。
しかしながらここに書いてあることを見る限り私は若い世代に近い考え方をしている。
この類の論争に関してはどうしてもワークライフバランスという言葉がかかせない。
最近の若い人は年配に比べてワークライフバランスを重視する傾向にあるのは私も思う。それはどうしてか。
「仕事」というより「会社」そのものに期待していないからである。
会社はあくまで労働力に対する賃金をもらう先であり、契約しているだけである。
ではなぜ昔はそこまで会社に期待している人も多く、かつワークライフバランスも軽視されていたのか。
それは経済が成長を続けていたからである。
昔はサラリーマンとして会社に長く勤めることをよしとし、所属年数によって確実に昇格して昇給もしていた。その場合、その所属している会社が全てであり、我慢して時間が経てば必然的に給料は上がっていき昇格していったのである。
しかしながら現代社会はそのようにはいかない。
今の新入社員はそもそも好景気を経験していないのである。
生まれながらにしてバブルが崩壊し、テレビをつければ不景気といわれ続けてきた世代である。その世代がバブル世代に比べて会社や仕事そのものに悪いイメージを持っている確率は必然的に高くなるであろう。
そもそも会社が個々人に求める範囲はしっかりと切り分けるべきではないのかと思う。
私は会社で強制的に参加させたい飲み会ならば残業代は出さずとも飲み会のお金は会社で用意したらよいし、そうでなければ自由参加にすべきだと思う。
すくなくとも飲み会の時間約3時間を残業代にすると(残業の時給を1500円と仮定すると)4500円となる。さらに飲み会参加費として4000円徴収されるとすると。
個人で8500円もの損失である。
もちろん飲み会のお金を損失と数えるかどうかなどは議論の余地があるが、すくなくとも「飲み会がそもそも嫌いで苦痛でしかない」人からすると1万円弱の損失となってしまうと考えると、こういう言葉が出てしまうのは仕方がないのではないか。
記事に関しての意見は以上になるが、逆に若い世代に言う言葉としては、
上の世代はいわゆる飲みニケーションを大事にしている人も多いのでその会社でうまくやっていくつもりなら文句を言わずについていったほうがよいであろう。
ということだけである。
こういった記事があると私はお酒がそれなりに強く、かつ好きでよかったなとつくずく思う。
以上
意識高くない系社会人のブログ
「あーサラリーマンなんて給料低いしやってらんねー」
「もっと休みほしいよなー」
「そのうち起業するわー」
「マジであの先輩使えないんだけどー」
「俺より給料もらってるくせに俺より仕事できない先輩とか…」
あなたの周りによくこんなことをつぶやきながら
でも結局何もしない人、いませんか?
私です。
そうです、私です。
人に使われるのをよしとせず
最初はいろいろやろうとするけど
結局は途中であきらめてなにもしなくなる人です。
昨今、ネットでよく「意識高い系」と言われている大学生や社会人、いますよね
「起業しようと思う」
「○○さんの講演を受けて感銘を受けた」
「××の本はすばらしいからみんなも読むべきだ」
「海外留学行って意識が変わった」
なんてのをつぶやいて輝いている人のことです。
私は残念ながら性格なのかなんなのかはわかりませんが昔からそこまで上記の「意識高い系」の人のように熱くなれないタイプでして、何かを始めようとしてもまったく続かないタイプです。
しかしながらたまに自分で「もしかして自分って意識高いのでは?」と思う時もあります。
仕事が終わって帰ってきてからたまに勉強をしたり、会社を辞めてフリーランスをやっている友人の話を聞くのが好きだったり。逆に会社から帰ってから家でずっとテレビを見て夜更かしをして会社に遅刻している同期を見ると「意識低いな…これがゆとりか…」と日々思います(私もぎりぎりゆとり世代ですが)。
そこで私は
「そこまで意識は高くないんだけれど、しかし何も考えずに生活しているわけではない」
人のことをこのブログでは
「意識高くない系」
と定義することにしました。
そんな「意識高くない系」の私が
昨今のブラック会社事情やゆとり対老害問題等の真面目な話題から気になったニュース、最近のマイブーム等まであくまでフリーダムに思ったことをつづっていこうと思います。
もちろん全て私の持論を述べるので反論等もあるかとは思いますが、そこで
「社会も知らないガキが何か言ってる」
「あぁたしかにこんな考えもあるな」
「そんなの当たり前だろ何言ってんだこいつ」
「感銘を受けました!これからも応援しています!」
と思うのかはあなた方の自由です。
どうせ長く続かないブログだと思うので暖かい目で見守ってください。
以上