はたしてやりがいは必要なのだろうか
以前、やりがいという弊害 というタイトルでブログを書いたことがある。
簡単に言うと会社が長時間労働や、低賃金を「やりがい」という言葉で隠そうとしている、という内容だ。
これに関して、やりがいは果たして必要がないのだろうか、という疑問点が浮かび上がる。
もちろん仕事をしていく上でやりがいはあったほうがよい。
そもそも「やりがい」とは何かという言葉の定義は細かいところは置いておくが、たとえば延々と穴を掘ってまた埋める作業にやりがいは見いだせない(と思う)。それが非常に高給だとしても断る人はそれなりにいるだろう。
私はSEをやっているが、やはりやりがいのある仕事、ない仕事がある。
他人の組んだプログラムに対して延々とテストをしているときや、設計書や書類の整理等をやっているときはやりがいなどまったく感じられない。
しかし自分でプログラムを組んでそれが実際にサービスとして動くとやはりそこにやりがいは感じるものである。
それらが同じ給料なのだから、私は可能ならば前者のようなやりがいのないものではなく、後者のようなやりがいのある仕事のほうがやっていて楽しい。
プログラマーの友人で、私より優秀でかつ給与も高く、実際の仕事で開発を多くやっている人がいる。
しかしその友人は、どこか自分の仕事に違和感を感じているようであった。
というのも、その友人は優秀でプログラミングに関しては大体なんでもできてしまうが故に、炎上プロジェクトの火消に使われることや、他者のヘルプが多いらしく、自身でプロジェクトを立ち上げたり自身の好きなように設計をしたりできていないらしかった。
それも一種の「やりがい」である。
他者の構想で設計をしてプログラムを完成させるよりも自身で考えていろいろ作ったほうが楽しいのは当たり前である。
給与的にも、開発をしている点にも不満はないらしいのだが、そのあたりでやりがいを感じられず、もう少し小さいベンチャー企業に転職したいと愚痴っていた。
やはり「やりがい」というものは仕事にしろなんにしろあるに越したことはない。
もちろん、お金を稼ぐだけと割り切って仕事をするのも非常によいと思う。私もそういう考えだ。
しかし、そこにプラス仕事の「やりがい」が生じるとさらによいのではないかと思う。
なぜ今更そのようなわかりきったことをと言われるかもしれないが、最近仕事のモチベーションが非常に落ちてきたのでなんとなくそう思っただけである。
以上。
逃げ癖と耐え癖
世間一般的に逃げ癖が付くことは悪く言われている。
もちろん私も悪いことだと思う。
中学、高校等ですぐに部活や塾をやめ、大学でもサークルやバイトをやめる。
そういう人は多いのではないだろうか。
私はあまり逃げ癖がないので何かそういった経験はないが、学生時代にアルバイトをしているときに入って1週間せずに辞める人が多くびっくりしたものだ。
しかし、逆に耐え癖が付いている人もそれはそれで直したほうがよいかと思う。
そもそも耐え癖とは私が今しがた考えた言葉であるのだが、言葉から想像できるように何か困難なことがあってもとりあえず文句も言わずにただひたすらに耐える癖のことである。
これはもちろん自身の精神に問題となることがある。
ひたすらに怒られ続ける職場でずっと耐え続けてうつ病になって会社を辞める。
今はこれが非常に多いだろう。
周りでもやはりマジメな性格の人ほど抱え込んで病んでいくのを見る。
私も逃げ癖は持っておらず、いろいろ深く考え込んで耐えることも多いが、たまに周囲に文句を直接言っているのでなんとか生きている。
こういった精神の病は「逃げ癖は悪く、耐えることこそが素晴らしい」という世間一般が生んだ病なのではないかと思う時がある。
しかしながら私が今回言いたいのは、この場合だけでなく耐え癖が後で他者の迷惑となる可能性があることがある、ということである。
それは一人の許容量を明らかに超えたタスクが降ってきたときである。
私が一時期いた案件で、リーダーがリーダーとして初心者で、かつあまり知識もなく、自身で調べながらなんとかやっている、ということがあった。
そのリーダーは非常にマジメな性格で、自身のタスクをなんとか自身だけでやろうとし、かつどうしたらよいのかわからないことを他者に聞かずに調べながら進めていた。
私はそれが非常に腹立たしかった。
できないならできないと言えばいいし、わからないなら他者に聞けばよい。しかしながらそのリーダーはそれをせず、すべて自己流でやろうとしてしまったのだった。
私はすぐにそのリーダーのタスクの多さや、やっていること方向性のずれを感じ、それをそのリーダーの上司に報告したのだが、その上司がリーダーに話かけても、「私が全部やります」「まだやれます」の一点張りだった。
結局その案件が立ち回らなくなり、最終的に他にわかる人がおらず私がいろいろと割を食うはめになったのだ。
このリーダーは今までチームで動くことが少なかったらしく、うえから降ってきた仕事はすべて自身で片づけてきていたらしい。
そういう人がリーダーとなってしまったときはそのリーダーがとてつもなく優秀な場合を除きプロジェクトが立ち回らなくなるのは当然である。
こいったケースでも耐え癖というものは他者に迷惑をかけてしまうのである。
まず、精神的にまずいと思ったときは早めに逃げるのが最重要であるが、自分が耐えることで他者の迷惑になっていないか考えることも必要であると私は思う。
私みたいな下っ端はそこまで考える必要はないのかもしれないが、今後誰かの上に立つ人はこういったことを少し頭の片隅に置いておいてほしい。
残業が多い生活というのも考え物だ
ここを見ている皆は毎月どれくらい残業しているだろうか
私はやはり職業柄忙しいときは非常に忙しくなるのだが、最近は非常に落ち着いており、定時とまではいかないが何か突発や定期的な作業がない限りは19時前には帰っている。
こういう生活が続くと、久しぶりに22時くらいまで残業するとなかなかつらい。
まぁもちろん単にプログラムを組むだけの場合は私は割と疲れないのだが、打ち合わせもところどころ入ってかつ他の作業もやったりすると非常に疲れる。
しかし、私は今年の年度末は非常に忙しく、3月などは22時前に会社を出ることはほとんどなかった。
それが4月に入ってから今年初めての定時帰りをしたときは「本当にもう帰っていいのだろうか」「帰ったら何をしたらいいのかわからない」「何か申し訳ない気がする」という思いが一瞬浮かんだのである。
やはりこういう考えが日本の企業に蔓延しているのだなと家に帰ってから思った。
私の会社は残業代もすべて支払われるので、もちろん残業するとそれだけ給料が上がるので、翌月の給与明細をみるのが少し楽しみであった。
しかし、上記のような思いを持つ必要がどこにあるのだろうか。
自身のタスクを時間内に終わらせた場合は早く帰宅するのは当然だ。
私の部署は別に帰りづらい雰囲気があるというわけではないが、やはり定時に帰る人は少ない。
どうしてこういう話をしたかというと、今日久しぶりに定時前に帰宅したからである。
仕事を途中で切り上げたとかではなく、客先に行っていて作業が終わったのでそのまま帰っただけであるが。
しかし、夜ではなくまだ夕方と呼べる時間に家に帰ることができるとはすばらしいことであると私は久しぶりに感じることができた。
夜の時間を有意義に使えているかと聞かれると甚だ疑問ではあるが、ここを見ていて普段から残業続きの人はたまには自身のタスクを終わらせて勇気を出して早く帰ることも必要だと思う。
サービスの終わりは悲しいものがある
5/20(火)に「ニンテンドーDS」および「Wii」ソフトの「ニンテンドーWi-Fiコネクション」サービスが終了した。
http://www.nintendo.co.jp/support/information/2014/0227.html
要するにDSやWiiでのWifiを用いた様々なサービスが終わるのである。
私はポケモンが大好きで、当時特にバトルレボリューション(以下、バトレボ)というゲームが好きだった。
それはWiiのゲームなのだが、DSで育成したポケモンをWiiに送ってWii上でランダム対戦やフレンド対戦ができるというものであった。大画面で自分の育てたポケモンが活躍する勇士を見るのが楽しかった。
それは4年ほど前はネット上では非常にブームとなっており、私も当時学生だったのもあって夜な夜なポケモンを育てては対戦していた。
しかしながらネットワークのサービスが終了するので、ランダム対戦やフレンド対戦ができなくなるの。
サービスの終了とは非常に悲しいものである。
今回私が話をしたいのは、そういったことだけではなく少し前にサービスが終了したWindowsXPに関してである。
私は新しいものが出るとそれを使ってみたいと思うタイプなのでWindowsXPのPCのスペックが低く感じてきた段階で買い替えたのだが、世の中でPCにそこまで興味のない人たちはそうでもないのだと知った。
SEをやっているのでいろいろなシステムに携わっているのだが、多くの会社は別にシステムさえ動けばという場合が多い。
また、友人等でもそもそもインターネットで調べものができればいいという人が多くでびっくりしたものだ。
私が今回のことで思い出したのは数年前にTVが完全に地デジ化したときのことである。
あのときTVでは地デジ化移行の方法等を延々と報道していたと思う。
そして実際に地デジ化した後はアナログのサポートなど一切なかった。
しかし今回のWindowsXPのサポート終了ではTVの報道はMicrosoft批判が多く見られた。
「皆がXPを使用しているのだからもっとサポートすべきだ」、「そもそもほとんど独占企業が利益ほしさに…」という批判が多く報道されていた。
TVとOSをそもそも同じレベルで語るのはおかしい気がするが、それでも双方批判すべきではないと思っている。
地デジ化は周波数帯の問題もあり、今後の放送帯やその他いろいろ考えると地デジ化は必要であったと思う。
OSの更改も必要なことである。
そもそもシステムの技術など日進月歩なのだから10年前では想定していなかったウィルスやスパイウェア等が新しく出ている。
それに対してスペック等が足りないのならば仕方がない。逆にサポート料を月額で全員が払えばサポートしてもらえるのでは?と思うが、そういう考えはそういう人にはないのであろう。
PCに詳しくないのならば新しいものを買って安心したらいいのではないか。
そう思わずにはいられない。
Windows XPを安全・快適に使い続けるための本 (2014年4月8日 マイクロソフト公式サポート終了!)
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ある程度システムに携わっているならそもそもこういう本が売れること自体がお笑いである。
以上
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五月祭に行ってきました
知っている人も多いだろうが、五月祭とは東京大学の本郷キャンパスの学祭である。
私は別に東大の出身でも関係者でもないので別に行く必要などないあのだがなぜか毎年足を運んでしまう。
そもそも最初に行ったのは東大の友人に会いに行くためだったかなんだったかは忘れた。
しかしまぁいまだに東大出身の友人が行くのでせっかくなので私も一緒に行っている。
たまにはそういう勉強にやる気の満ちた空気を吸いに行くのは非常にいいのだが、学祭だとそもそも私みたいに他大学の学生やその出身者が多い。
その場合研究室公開等を見て最近の研究の動向を見るだけでも雰囲気は味わえる。
それでも違う空気を味わいたいなら平日の昼に行くのが一番いいと思う。
今回は本当に日記のようになってしまったが、最後にそのとき一緒にいた友人(東大出身者)との会話を少し話そう。
それは東大のオリジナルブランドの物販のところを見てたときの話である。
一昔前に東大生のノートというものが流行ったのを覚えているだろうか。あのドット付きのノートである。
私もその友人もその時に声をそろえて、「東大生の友人はなぜかノートが汚い」という話をした。
東大に合格したのは字も汚く、そもそも単なるメモ書き程度しかしない友人が多かったのである。
最終的にまぁ相当頭がいい人間は単にノートなどに綺麗にまとめる必要もなく頭のなかにまとめられるんだろうという結論に至った。
もちろん勉強するにも型から入ることが大切だが、ノートを綺麗にとって満足するのではなく、私のように努力が嫌いな人やそもそも物覚えが悪い人はしっかりと反復練習をして方程式を一つでも多く覚えたほうがいいだろう。
時間に余裕があるならばもちろん綺麗なノートをつくることもいいかもしれないが。
人の話を聞いてやる気をだそう
先日、久しぶりに昔の友人と会って飲みに行っていた。
そのとき飲んだ友人は会社に入って2年で退職し、現在はフリーランスをやっている。
少なくとも会社勤めしていたころよりは休みが非常に多く、かつお金も稼げているらしい。
その友人に関しては詳細は語れないが、それでもやはりすごいと思う。
年に2回程度その友人と飲みに行ったりしているのだが、そもそも話が合うというのももちろんあるのだが、いろいろ普段の生活やそのほかの話が勉強になり、単に気の合うだけの友人と一緒に騒いでいるときよりも非常に充実した時間を過ごせて好きだ。
私は就職して2年で会社を辞めて一人で働くほどアクティブにはどうしも動けないので、ただひたすらに尊敬する。また、単に夢を追いかけてフリーターになる、などではなく、しっかりとした収入源を確保したうえで明確なビジョンをもって会社を辞めている点は非常にすごいと思う。
そういう人とたまに飲みに行ったり話を聞くことは非常によいことである。
どうしても普段は会社の上司や先輩、同期や大学の友人と飲むことが多く、「会社勤めをしない」という選択肢がそもそもない人しかいないので、どうしても残業をたくさんして稼いだという自慢や、少し意識の高い人でも次の会社に移るために勉強をしている等の話しか出てこない。
視点が違うので、自分の思っていないようなことを考えていたりするのだ。
延々と会社勤めをしている人だけで固まっているとどうしても被雇用者視点しか持てなくなる。
たまには全く別分野で活躍していたりする人と飲みに行ったり話を聞くとなかなか違う視点からの回答が得られるかもしれない。
いつもの最後の紹介はその友人に勧められた本だ。
友人に借りてまだ読んでいないので勧めていいのかわからないが、とりあえず紹介だけはしておく。
以上
- 作者: ロバートキヨサキ,白根美保子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2001/06/27
- メディア: 単行本
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月80時間の残業はブラックか否か
月80時間の残業では「ブラック企業」にならない?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/uenishimitsuko/20140505-00035065/
先日twitterで見かけたので記事を見てみた。
なので自分の思うところを少し書いてみようと思う。
私はまだ就職してそこまで年数がたっていないのでそこまですごい残業はしたことがない。
一度だけ80時間程度残業をしたことがあるが、あくまでそれ以外では70時間が一回あった程度でほとんどは30時間前後のことが多い。繁忙期じゃなければ月に1,2日は定時で帰れている。それだけを聞くとSEだったら普通じゃないかなって思う人も多いだろう。またはホワイトという人もいるだろう。
しかし、普通に考えるとこれもおかしな話だ。
「残業」とはもともと通常の業務に追加して例外的に行う業務である。
それを残業をしない日のほうが少ないという状況をおかしいと言わずになんという。
私はいつもこういう話になるとなぜ人数を少し増やして作業を分散しないのかと思う。また、新しく人を雇うのがいろいろリスクがあるというのなら、少なくとも会社内で全体的に負荷分散すべきなのではないだろうか。
私の会社でも社内でうまく負荷分散されていない。よく、「残業する人は無能」という話を聞くし、ネットでも見かけるが、実情は逆の場合が多い。
優秀な人ほど残業するのだ。いや、残業せざるを得ない状況にあるのだ。
私の会社やその他知り合いの会社ではもちろん全員が同じ負荷なわけではなく、できる優秀な社員にほど仕事が集まる。
そして無能な社員ほど仕事を与えられない。
私も一度体験したことがあるが、あれはなかなかにつらい。
その昔配属されて割とすぐに同期と同じ案件になった際に明らかにタスクの偏りがあった。比較して5倍程度あっただろう。
というのも、最初は同じことをしていたのだが、気づいたら私だけ別の作業を振られ、結局そういった偏りが発生してしまった。
さらにその時は私は別の案件もあり、同時にこなしていたためよく終電まで残ったりしていたものだ。
さて、月の残業時間が80時間はブラックかという話であるが、私はブラックだと思う。
いくら繁忙期だからといって80時間はなかなか厳しいものがある。
80時間は月の勤務日数が20日間だとすると1日4時間残業することになる。
終業時間が18時だとすると毎日22時に終わるということだ。そのあとに1時間かけて帰宅したとすると23時となってしまう。そうすると普通の人並みらしい生活など望めないだろう。
私の友人で150時間程度残業したと聞いたことがあるが、150時間程度になるともちろん休日出勤も必要となる。
こんな話をすると必ず「社畜」と呼ばれる人が「この程度の残業時間でなにを」「私はもっと大変だ」と言ってくるが、私は別に働きたくないし働くことに誇りも何も持ち合わせていないのでそういった人の話を聞いても何も思わない。
少なくとも過労死ラインとされている80時間をブラックじゃなく普通とする会社はいかがなものかと思う。
以上