意識の高くない系社会人ブログ

意識の高くない系社会人が仕事観や自己啓発のような内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書いていきます。

総合職という闇

3月になり、学生の就職活動がスタートしたようで、電車でも黒のスーツに身をまとい、合同説明会等でもらったパンフレットを手に持っている人を見かける。

 

また今年も就活の時期がずれるようで、相変わらず学生及び採用担当者に負担がかかっているのではないかと思う。

 

 

今日私が書くのは、「総合職」についてである。

 

一般的に日本で就活をしていると、あまり意識していないかもしれないが、ほとんどが「総合職」か「一般職」である。

技術者として活躍したいSEも、バリバリと仕事をしたい銀行員も、すべて「総合職」採用となっている。

 

この「総合職」が、昨今の日本では少し問題となってきている。

 

 

 

そもそも、なぜ総合職なのか。

 

海外では仕事において、採用は「プログラマー」であったり、「コンサルタント」であったりと、そもそも細かく分類されている。

日本において仕事はまずは総合職として一括で新卒を採用し、そのあとに配属でいろいろな部署に配属される。

 

 

日本は海外に比べ、仕事に就くというより、会社に就く、という意識が非常に強い。

なので、どんな仕事をしているかと聞くと、仕事内容よりも会社名を挙げる人や、会社の主要の製品やサービスを挙げる場合が多いだろう。

 

総合職という考え方がずっと続いた理由は、言うまでもなく「終身雇用」のためである。

 

海外では、たとえば技術者がある会社に入って開発をしていて、その製品の売れ行きが悪く撤退する場合、その技術者は解雇となり、別の会社で技術力を生かせるところを探すだろう。

 

しかしながら、日本ではほとんどの人が全く関係のない部署に「異動」となる。

それこそ技術者でも「人事部」や「総務部」等に異動となる場合も多いだろう。

また、業績等も関係がなく、たとえば技術部門であまり開発ができなかったり、営業で問題発言が多いような人でも、いわゆるブラック企業ではいじめて辞めさせるようなことはあるかもしれないが、普通の企業では他部署への異動となる。

 

 

今までの終身雇用制度では上記でも問題がなかった。

 

では今となって何が問題となってきたか。

 

終身雇用制の崩壊と転職が少しずつ一般的になったことである。

 

 

さて、先ほどの例で考えてみよう。

 

技術者がその製品の開発の撤退となり、他部署に異動となったときに、その会社を辞めて別の会社に転職するという人が増えてきた。

また、終身雇用制の崩壊により、年功序列で給与があまり上がらなくなったり退職金がなくなったりと、その会社に居続ける必要もなくなってきた。

 

 

それによって、「人事部」や「総務部」等には、いわゆる行きたくないけど昇格するために一度は異動が必要なローテーション制度で異動となった人か、他の部署では使えなくて飛ばされてきた人、会社名で入りたいと思ったが楽な仕事がしたくて異動したかった人が多くなってしまったのである。

 

 

そういった人は得てしてモチベーションが低く、仕事に対する貢献も少ない。

正直なところ、私は別に仕事にモチベーションをもって取り組めということは言わないが、自分たちの仕事も完全にしようとしない人が多いのが問題となる。

 

また、こういったコーポレート部門は、会社の幹部の人々等とのかかわりも少し増え、段々と自分が偉いと感じる人も出てくる。

私の会社にも、他部署であまりに使えなくて総務部に飛ばされたのが、自分が偉いと勘違いしてほかの部署に対して非常に横柄な態度で接するようになってしまった人がいる。それも一人や二人ではない。

また、コーポレート部門は、得てして顧客と接する機会がなく、社内の人間としかやり取りしない。

そのため、人との対応の仕方を忘れ、やらなければいけない仕事を「面倒だ」と横柄に突っぱねるような人が増えてしまう。

 

 

 

 

また、もう一つの問題として、すべての若手社員が「庶務」に追われてしまうことである。

 

技術者として採用されたのであれば、基本的にその技術以外のものは求められない。

しかし、日本では、必ず会社への仕事として「庶務」が発生する。

若手社員ということで仕事にも慣れていなかったりするわけであるが、それにプラスで庶務も発生してしまい、数年後には不要となる「庶務」を覚える必要が出てくる。

 そして、若手社員は早く次の新人が入って庶務を押し付けたいということしか考えない。

 

最初から庶務担当の人を採用しているのであれば、こういった問題は発生しない。

 

 

 

また、それに付属して、先ほどの一つ目の問題を合わせると、

コーポレート部門が横柄な態度で仕事をせず、他部署の若手に本来はやらなければいけない仕事を押し付ける、ということが発生してしまう。

 

その結果、若手社員は庶務を抱え、やりたい仕事ができないということで転職を考えてしまうのだ。

 

 

 

この記事を読んでいる人の中にも、似たような事例で困っている人もいるのではないかと思う。

 

 

 

 

日本人は労働時間に対して生産性が非常に悪いということが言われているが、こういったことも原因の一つではないかと私は考えている。

 

 

「総合職」ということも雇用の安定ということでは悪い面だけではないが、少しずつグローバル化してきた昨今の状況には、多少合わなくなってきたのではないかと思う。

 

 

 

就職四季報 2017年版

就職四季報 2017年版

 

 

就活の現場に社会人として参加してみて

更新のあまりないこのブログに最近になってまたアクセスが増えて来ているようだが、それはおそらく今年の就活が始まったからではないだろうか。

 

今年は説明会が3月から始まると聞いてまた4年生や院2年の学生がつらい思いをするのかと思った。

就活を遅くしようという動きはどうやら学生の勉強する時間をより確保するためのようだが、私のように理系の学生からすると、就活が終わらないと研究が中途半端になってしまい、学会発表等もできなくなるので就活は今まで通りでよかったと思う。

どうやら就活の時期を決めている団体は、大学生は3年生までが勉強していて4年で就職が決まるとあとは遊んでいると思っているらしい。

 

 

今回は、いまだに日本の新卒採用はクソだと思っている私が逆に新卒採用の現場を見てみて思ったことを話そうと思う。

 

 

というのも、最近、新卒の説明会等に「若手現場社員」という形で参加することが出てきており、学生からいろいろ質問を受ける立場となったのだ。

 

どうやら景気が上向きになり、去年と今年はいわゆる「売り手市場」となっているようだ。そこで会社側もいい学生に来てもらいたいといろいろ頑張っているようである。

(得てしてこういう時期に大量採用されて入ってくる学生は使えない人が多いのだが)

 

 

さて、実際に学生を見る立場になったときに思ったのは、ほとんどの学生は業界や企業のことなど知らず、その場限りの簡単な調査をし、面接では適当に答え、それを人事採用の担当者が見抜けていないという現状である。

 

現場社員の質問の時間等にいろいろ聞かれるが、そもそもBtoBとBtoCの違いを知らなかったり、SEの実際の仕事内容等があまり理解されていないのである。

私は周囲にすでにSEをやっている同期や先輩がおり、かつネットでいろいろ調べていたこともあり、業界だけでなく会社それぞれの特色等も知っていたし、それが当然だと思っていた。

しかしながら実際に就活の現場に来てみると、とりあえず「プログラムなんて知らない」「ゲームとか作れるようになるのか」くらいの人が多すぎるのである。

そして「ブラックではないか」「残業多いのか」等も聞かれる。

そういう質問が来たらあまりに馬鹿馬鹿しいと思いつつもしっかりと回答するのだが、どうもいい気がしない。

 

これを実際に仕事に戻って現場の人に話をすると、「自分のときも実際に仕事するまでどんなものか知らなかった」「適当にパンフレットに載っていることを話ていた」などが多く聞かれた。

ましてや同期には「SEってなんかカッコよく見えたから」という謎の理由で入社した人もいる。

私としてはそのような人と一緒に仕事をしなければならないことが非常に残念だ。

 

 

 

ここでやはり一番の問題は、学生よりもむしろ面接官と採用方式にあると思う。

学生はいつの時代もいい人も悪い人もいる。もちろんその時代により割合が多少変化することもあるだろうが、そこまで大きく変化しないと思っている。

その中で、いい学生をいかに見極めて採用するかが現状の新卒採用では出来ていない。

以前、日本の就活がおかしいというブログにも書いたが、結局は今の日本の就職活動は「数十分間を取り繕えばその後の人生が決まる」のである。

あなたの周囲にも、その場しのぎで一時的に取り繕うのがクセで、最終的につじつまが合わなくて仕事ができないタイプに人間がいないだろうか。

結局はそれが日本の新卒採用を表しているのではないだろうかと思う。

 

 

あとは、古い日本企業では、いまだに「いろいろ意見できて新しいことをやって利益をもたらす」人よりも「上に言われたことを忠実にこなして皆と仲良くやっていく」人のほうが重宝される。そういう企業の面接では「扱いにくそう」と思われた時点で終わりである。

 

 

 

 

さて、これを見た学生に伝えたいこととしては、「日本の就活など結局は面接官のとマッチングにすぎない」ので、不採用が続いても落ち込み過ぎないことだ。

 

これを見た採用の面接官や人事のお偉いさん方には、日本の新卒採用方式を一度見直すことも考えてみてはどうだろうか。

 

 

なぜ君たちは就活になるとみんな同じようなことばかりしゃべりだすのか。 (ジブンの本当の価値を伝える技術)

なぜ君たちは就活になるとみんな同じようなことばかりしゃべりだすのか。 (ジブンの本当の価値を伝える技術)

 

 

会社の近くに住むか遠くに住むか

年もあけて春から大学に入る学生や新しく社会人になる新入社員は今頃新しく住む場所を考えているところではないだろうか。

 

かくいう私も会社の独身寮の入居年数が期限に達したので実は引っ越しをしたばかりである。

 

 

ところで、題として書かせていただいたことは誰もが必ず一度は通る道のりではないだろうか。

特に都心部に大学や会社があると近くに住むのは高いし遠くに住むと通学・通勤に時間がかかったりといろいろ考えることはでてくる。

 

大学と会社では少しだけ視点が異なるので今回は会社に絞って話させていただく。

また、家族や家を持ってしまうとまた見るて点が変わるので、今回は独身の社会人をメインターゲットとする。

 

 

今回、私が引っ越しをしたのは会社の近くでもないし片道一時間もかかるような遠さでもない中途半端なところだ。

ただ、もちろん人によってもちろん重視するところは違う。

ちょうど最近、大学時代の友人が転職することになった。その友人は多少お金を出しても必ず会社の徒歩圏内に住むことを重視している。なによりも都心の満員電車が嫌いなのと、通勤時間はどうしても無駄にしか思えないらしい。

逆に友人の中には住居にはお金をかけたくないということで少し離れたところに風呂トイレが一緒の安い物件に住んでいる人もいる。

 

以上から、結局は個人の重視していることから場所を選べばよいだけの話になってしまうのだが…

 

 

しかしながらここで私の重視する点と、友人や先輩方のさまざまな意見を話させていただきたい。

 

まず私は会社の徒歩圏内に住むのはやめたほうがよいと考えている。

せめて二駅くらいは離し、がんばれば徒歩でも帰れます程度にしておいたほうがよさそうである。

私の会社のにも徒歩10分程度のところに一人暮らししている先輩がいる。

しかし、その先輩を見ているとどうしても徒歩圏内に住みたいとは思わなかった。

と、いうのも、その先輩が引っ越しをしてから、終電という概念がなくなったためである。

その先輩は割と仕事のできるほうで、普段から少し大目に仕事を任されるタイプであった。それでも引っ越す前はそこまで遅く残って仕事をするイメージはなかったのだが、引っ越しをしてからは22時くらいまで仕事をしていることが多くなっているようだ。

そこには理由が二つ存在する。

1つ目は上司が先輩により多くの仕事を任せてしまったからである。

上司からすると、仕事をどうしても終わらせなければいけないとしても、終電を過ぎてまで仕事をしろとはなかなか言いにくい。そして自然にその先輩に仕事が回り始めたのである。

そして2つめは自身が終電という区切りをなくしてしまったからである。

これは、普段ならなんとかして今日中に終わらせようと思った仕事も、終電がないから0時過ぎてもいいやと思ってしまうようになってしまったのだという。

また、チームで仕事をしている場合も、終電の早い人の仕事を引き取るようになってしまい、長時間労働に結果的に自分が望むにしろ望まないにしろ家に帰る時間は引っ越す前より遅くなってしまったようだ。

 

 

以上から、会社の徒歩圏内に住むのは私はオススメしない。

 

 

では逆に1時間以上かけて遠くに住むのはどうかと考えてみる。

 

都心から離れれば、もちろん家賃も安くなり、さらに電車の始発駅等だと通勤時間でも一本遅らせると座ることができる。さらに通勤時間を勉強に費やせば、普段机に向かうのが嫌いでも、強制的にやることをなくせば勉強できるのではないだろうか。

 

しかし私はこれも個人的にはオススメしない。

 

まず、通勤時間で片道1時間かかる場合、往復で1日2時間かかっていることになる。しかし、片道30分だと往復で1時間だ。ここに1時間の差が生まれる。

たとえば、この1時間を残業時間に充てたとすると、残業時間の時給を1500円とすると、1カ月の平均の業務日数が20日なので、3万円稼ぐことができる。

もちろん残業など業務によって自由に操作できるものではないが、それほどの時間を無駄にしているということだ。

通勤時間にゲームをしたり本を読んだり勉強をしたり、座れたときは仮眠をとるから大丈夫という人も多いだろう。

しかし私はこれもあまりよいとは思わない。まず満員電車の中ではなかなか集中して本を読むこともできないし、勉強することもできない。多少の仮眠をとったとしても、乗り過ごさないように気を配らなければならない。

ましてや、電車が遅延したりしてさらに満員電車となると、ケータイを見ることもままならないまま長時間電車に揺られなければならない。

また、座れたとしても目の前に老人や妊婦が来てしまうとどうしても席を譲らなければならないように思える。

 

これらから、あまり遠くに住むのも個人的にはオススメしたくない。

 

 

 

じゃあどうするのが一番よいかというと、結局は、個人のどうしても譲れないところや、こだわりを見つけながら決めるのがよいだろう。

 

 

私は今回重視したのは、「会社から15分以上45分以内」、「会社以外の都心に出やすい」、「住みたいと思える街かその隣」である。

通勤時間に関しては上に書いた通りである。近くには住みたくなかったし、遠くにも住みたくなかった。

会社以外の都心に出やすいとは、会社は都心といえば都心だが、たまに会社以外の友人たちと飲むのは別の街となる。よって、その都心に電車1本で行けたほうが便利だと思ったのだ。というのもどうしても会社の人よりは友人たちのほうがどうしてもテンションが上がってしまって飲みすぎてしまうことが多いからだ。

住みたい街、というので、私はゴミゴミしたところが嫌いだったので高級住宅街の近くに住むことにした。住んでみて分かったのだが、やはりそういったところでは、人も多すぎず、治安も非常にいい。週末の駅の中で見たくないような光景をまだ見ていないし、酔っ払いが騒いでいるところも見ていない。また、夜に近くをバイクが通るなどもなく、非常に静かである。やはり高級住宅が立ち並ぶには理由があるのだと思った。

 

上のはあくまで私の個人的な意見だ。

もちろん私の友人みたいに徒歩圏内は譲れない人や、多少遠くても安いところに住みたいなどこだわりがあることが多いので、あくまで今回書いたことは物件選びの前に住みたいところが決まっていない人に一個人の意見として参考にしていただければ幸いである。

 

 

以上

 

 

就活において業界研究はしたほうがいい

私はよく自社の就職活動の会社説明会の現場社員質問会のような場所に呼ばれることが多い。

私からすると本来の仕事と違って学生と話すのは新鮮でいいと思うので呼ばれると快く引き受けている。

 

就職活動の時期が今年からまた後ろにずれるようである。

私のように理系の出身者は後ろにずらせばずらすほど研究に割ける時間が減るような気がしてからないのでやめたほうがいいと思うのだが。まぁそういう規定を決める人たちはおそらく学部の3年までは授業があるけど4年は週に1回程度のゼミに出席して適当に論文を書いた人間なのではないかと思ってしまう。

 

まぁ今回は少しだけそれにかかわってくる話をした方がいいと思う。

 

就活を経験した人なら必ずやったであろう「業界研究」、「企業研究」に関してだ。

 

私はもともと情報系だし就活はITに絞っていたのと、知り合いにもSEが数人いたのであまり業界に関する研究をせずとも大体のことは知っていた。なのであとはその会社について調べておく程度だった。

 

ただ、やはり同期を見ていても、会社説明会等で話す学生を見ても、企業研究以前に業界研究がそもそもできておらず、IT業界がすべてWEB系のようなBtoCだと思っている人も多い。(BtoBやBtoCについてはここでは説明しないのでわからない人は自身で調べてほしい)

 

面接官としても、やはり志望動機等で、どんなに素晴らしいことを語ったとしても若干の勘違いや研究不足が見られると、志望度が低いとみなされて落とされることがあるようだ。

 

また、ただそれだけではなく、実際に面接官にその業界研究不足が見抜けずに採用となった場合、実際に困るのは採用された側にもくる。

働いてから「こんな仕事だとは思わなかった」ということが起きるのだ。

 

採用した人としては採用が終わって研修があって配属された後のことなどあまり知らず、次の採用に忙しくなる。

しかしながら現場の社員からすると、その業界研究不足だった新卒社員が「こんなはずではなかった」と言って転職されると、それはそれで若手が育たずに困ってしまう。

それはもう現場社員の教育云々の話からはずれてしまうのである。

 

私個人からすると、少しでも違うなと感じたら第二新卒として扱われるうちに転職をお勧めするのだが、現場社員からするとせっかく教育に割いた時間が…とあまりよく思われないだろう。

 

いずれにせよどちらも得をしないのである。

 

 

本来はしっかりとした採用過程を決めて、そいった人がいないようにするのが一番だが、我々現場の社員にはどうしようもない。

 

 

なので今から就職活動をする学生にはぜひしっかりとした業界研究や企業研究をして、納得したうえで受けてほしいと思う。

 

 

以上。

 

日経業界地図 2015年版

日経業界地図 2015年版

 

 

 

メンタル面における鈍感力と敏感力

ゆとり世代(ゆとりせだい)とは2002年度(高等学校は2003年度)学習指導要領[1][2][3]による教育(ゆとり教育)を受けた世代、またはそのうち脱ゆとり教育を受けていないなどの一定の共通した特性を持つ世代のことである。

 

Wikipedia引用

 

 

よくゆとり世代は使えないと言われることが多い。

ゆとりというよりはむしろ今の若者はという言われ方をすることが多いと思う。

「今の若いものは…」という言われ方は昔からずっとなされていたことなので今更それに対して言及するつもりはない。

 

 

今回は、どちらかというと「今の若者と昔の若者の違い」について話をしようと思う。

特に『メンタル面』について話をしたい。

 

 

なぜ突然今と昔のメンタル面の話をするかというと、

ついこの前会社で人権問題やパワハラについてのDVDをみさせられたからと、そのDVDについて気さくな年配の方と昔との違いを話していたのと、あとは自分もよく上司に怒られているので今話題の『パワハラ』とはいったいどこからどこまでを指すのか調べていたからである。

 

 

まず、今回の話題は、前提として「今の若者は昔に比べて精神的に弱くなった」という前提で初めようと思う。

昔の人も精神的に弱い人がいるとかそういったことを詰めようとは思っていない。

 

 

最近はよく新型うつと呼ばれるものにかかる人や、メンタルをやってしまって休職する人が後を絶たない。

昔はあまりいなかったと思う。

そもそも昔も一定層はいて、最近になって病名がついたからそれが認識されるようになったのだとは思う。が、今回の趣旨に反するのでいったん置いておく。

 

 

上で述べたような人権やパワハラの防止の映像等を見ると、必ず「昔は○○だったのに、自分もそうやって育ったのに」という発言が多い。

実際にそれについて会話をした年配の人はやはり昔は会社で頭を叩かれたりの軽い暴力は当然のようにあったらしい。

私も子供のころ家や塾が厳しいところだったのでよく怒鳴られて頭を叩かれたりをしていたが、精神的にはかなりつらいものがあった。社会に出てからそれをやられるとおそらく言い返すか殴り返すか転職するか何かやってしまうと思う。

しかし昔の人はそれでも耐えていた人が多かった。

 

果たしてなぜ耐えられたのだろうか。

 

いくつか要因は考えられる。

 

1、当時はそれが当然だったから

単純な理由である。

それが普通の社会ならばあまりそれに対して疑問を持つ人も少なくなる。

要するに一種の洗脳である。

 

2、好景気だった

もう一つの理由としては、今と比較すると経済が成長し続けており、景気も良く、楽観的に考える人が多かったというのも考えられる。

昔は今に比べるとやはり飲み会等も多かったらしく、毎日のように居酒屋で同期と上司の愚痴を言ったもんだとよく年配の人や親から聞いていた。

また、ずっと耐え続けて会社にいると基本的に必ずと言っていいほど昇格して昇給していった。今みたいにずっと給料が上がらないといったことが少なく、またそのうち管理職になって上の立場になれるという期待があったから耐えられたのかもしれない。

 

3、教育方針が違う

今回はこれについておもに話していこうと思う。

今の世代はあまり競争をさせないというのがもっぱら言われている。運動会でも一緒にゴールしようといった話をたまに聞く。

団塊の世代は人も多く受験戦争やいろいろ競争にさらされて生きてきたのだと思う。それによって「他人を蹴落とそう」という人は年配の人は今の若い人より多く感じる。

 

 

 

さて、今回のタイトルをなぜ「鈍感力と敏感力」としたか。

 

メンタルにおいて今の人は昔に比べてより「敏感」になっているのではないかと私は考える。

昔は今よりおおらかな人も多く、何かを言われてもそこまで気に留めず、次の日まで引きずらないという人も多かっただろう。

今は一度言われたことを何度も頭で反芻してしまい、だんだんとメンタル面に支障が出てくる人も多いように感じる。

 

これは非常に難しい問題で、「じゃあメンタルの強い鈍感な人を雇えばいい」という話になるかと言われると決してそうではないと私は思う。

むしろ私は「敏感」な人のほうが好きだ。

 

なぜわざわざ「鈍感」、「敏感」と表現したかを考えていただきたい。

 

 

精神的に「鈍感」な人は自分に対してだけでなく相手に対しても「鈍感」なのである。

そのため、「自分は怒られても病んだりはしないから他の人に同じことをしても大丈夫だ」となりがちなのだ。

精神的に「敏感」な人はあまり他人に攻撃的に会話をする人や日常的に高圧的に接する人は少ないように感じられる。

そういう人はたいてい「自分が言われたら絶対にキツイ」と思うからである。

 

会社を見ていても基本的に何も考えていない人ほど大声で怒鳴ったり感情的になったりした後に普通に飲み会で怒った相手に肩を組んで笑いこけていたりする。

それを自分がやられたときにどう思うかという視点が欠けている上に、自分は同じことをやられても何も問題ないと感じているのだろう。

 

 

結局のところ、昔の人は競争ばかりで精神的に擦れてしまい、他人の感情に「鈍感」になってしまっているのではないかと思う。

 

 

しかしながらそういった人が社会的に声が大きいため、そういう人こそがコミュニケーション能力があるととらえられがちなのは日本の今後を考えると頭の痛い問題だと思う。

 

 

 

 

 

最近精神的に病んできた人はこれを見て少しでも元気が出たり、逆に上司になって最近の若者はメンタルが弱いと感じている人はこれを機にいろいろ考えることができたりすると幸いである。

 

 

 

 

ただ、今回の話は「今の人は昔の人よりメンタルが弱い」という仮定を前提にしており、決して数字をもって言っているわけではないのでそれは考慮してほしい。

(私はどちらかというと結局はいつの時代も「今の若い者は…」って言っているじゃないかという考えの持ち主なのであしからず)

また、これはあくまで持論なので皆が必ずそうだとあてはまるわけではないのでそれも頭に入れておいてほしい。

 

以上。

 

メンタルで負けない自分になる本 ~ピンチをチャンスに変える心理学~ (だいわ文庫)

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奨学金と大学教育

久し振りのブログになるが、

 

最近いろいろなブログやTwitter奨学金に関する記事が多く見受けられたのでそれに関して思うことを書いてみようと思う。

 

日本では大学に入学するにあたって、奨学金を借りる学生は非常に多い。

かくいう私も学部生のころは利子ありの二種を借りており、大学院に入ったときに利子なしの一種を借りていた。

卒業と同時に300万円以上の借金ができており、非常に大きい額だと思っていたが、いざ働き始めると100万円程度なら意外に簡単に貯金できることを知ったので、繰り上げで返済できそうだと今のところ思っている。

 

 

日本の奨学金は、基本的に二種(利子つき)はどんな人でも借りられる。

 

 

私は親は別に貧乏ではなかったのだが、兄弟が多く親からあまり金額面の援助を期待できなかったし、また理系で留年率も高かったためバイトをたくさんして稼ぐなど到底無理だったので仕方がなかった。

 

それだけの理由があっても二種にしかならなかったのだが、友人にずっと一種だが、自分より不真面目で親も別に金銭的に困っていないという人をたくさん見てきたので、いまだにその線分けはわかっていない。

よく2Chやその他インターネットでは勉強さえ頑張れば一種で利子なしや返済義務のないものを借りれるだろうというコメントを見かけるが、なかなかそうもいかないものだ。

 

 

さて、今回はそういったことを話したかったわけではなく、

あるコメントで

「就職してから奨学金を返済するために学生のうちにバイトをしてある程度貯金を作っておいたほうがよい」

というのを見かけたからである。

 

これはもちろん本末転倒だということはこんな記事をわざわざ見に来る人にはわかるだろう。

 

 

 大学はあくまで勉学をするところであり、就職のための施設ではない。

それをわかっていない人が多すぎるのである。

最終的にゴールとして就職という道になったとしてもあくまで目的を忘れてはいけない。

 

私は大学でもそれなりに最低限の勉強や研究をしていたし、生活の負担にならないレベルで少しアルバイトもしていた。

しかし、今になるともう少しアルバイトを減らして勉強しておけばよかったと思う。

 

いざ会社に入ってみると周囲は学生時代まったく勉強も何もしてこなかった人が多く、少し驚いた。

しかし逆に友人やその他友人の会社の人たちはやはり普段から勉強する習慣がある人が多く、知識をつけることがいかに重要かを知っている。

 

学校教育では、勉強を「努力すること」「継続すること」「真面目さ」として押し出していると感じる。

それによって将来的に高収入を得られる確率が上がるなどとは教えない。

特に小学生や中学生のころはマジメな人がダサいという風習がある。

それを勉強することが真面目と全面に押し出してしまうと、モテるために勉強を辞める人も出てくるだろう。

 

いずれにせよ学校教育や親の教育として主体的に知識を付けることの重要さを解いていないと目先の利益にとらわれて奨学金を返すために学生時代からアルバイトに明け暮れてしまうのだと思う。

 

以上

 

日本の奨学金はこれでいいのか! ―奨学金という名の貧困ビジネス

日本の奨学金はこれでいいのか! ―奨学金という名の貧困ビジネス

 

 

マナーと化粧

女性にとって仕事をしていくうえで最低限の化粧はマナーとして扱われる。

 

それは特殊な仕事を除くと一般的な認識であると私は考える。

 

 

なぜ突然このようなことを言い出したかというと、先日歯医者に行っていたときに待合室でふと見つけた雑誌に、「女性にとっての化粧は」のような小さなコラムが掲載されていたからだ(詳細なタイトルは覚えていない)。

 

簡単に書くと、

『女性同士で会話していたときに、かわいらしい後輩のAさんの話になり、とある人が「Aさんって普段から化粧しないのは自分がかわいいと思ってるんでしょ、嫌味な子よね」という会話があった。その筆者も普段からあまり化粧をしないのだが、筆者の場合は別に綺麗でもないのでおそらくめんどくさいからしていないと思われているだけだろう。化粧しないことはそんなにいけないことなのか。』

といった内容だった。

そこに一般女性は化粧をするのは当たり前で、化粧をしていないのは失礼に値するのではないかという考えが一部に浸透しているのではないかという意見が書かれていた。

 

 

私は仕事をしているうえで、男性女性にとどまらず、最低限の身だしなみは整えるべきであると考えている。

男性でも寝癖がついていたりフケがたまっていたり体臭が臭いという人はたまに見かける。

それに比べると一般的に女性のほうが最低限の身だしなみは整えている人は多いように感じられる。

 

しかし同時に、化粧がマナーの域を超えている人も多数見かけるのである。

 

男性ではたとえば髪が極端に長かったりワックスでツンツンの髪型にしたりヒゲをはやしていると注意される会社が今でも多いのではないだろうか。そしてオフィス街で仕事中の人たちはやはりあまりそういった人を見かける機会は少ない。

 

しかしながら女性では女性同士でしかあまりそういった注意がなされないため、明らかにマナーの域を超えている人を見かける。

私の会社でも明らかに高すぎるヒール、短いスカート、濃い化粧、つけすぎな香水、カラフルなネイルで仕事をしている人を見かける。

それが直接的に問題になるかと聞かれればそこまで問題ではないのかもしれない。

しかし私は少なくとも集中しているときは甲高いヒールの音が耳触りだし、よほどの美人でもなければ下着にも興味はなく、逆にかわいくない女性の下着など見てもテンションが下がるだけだし、濃い化粧を見るとどうしても電車等でぶつかったときにスーツに化粧が付かないか心配になるし、香水に関しても匂いが強いものはどうしても臭いとしか感じないし、ネイルもそれでキーボードを打ちづらそうにしてると何しに会社にきているのかわからない。

 

実体験でも上記のようなことはもちろんあるのだが、それは割愛させていただく。

 

要するに、何事もほどほどに、ということである。

 

女性だけでなく、男性でも良かれと思ってやっている身だしなみがマナーの域を超えていないかもう一度立ち戻ってみるのもよいのではないだろうか。

少なくとも私は非常に濃い化粧をしている女性よりは最低限の身だしなみを整えているが化粧をしていない女性のほうが一緒に仕事をしたいと思うし、取引先としても信用できる。

 

以上。

人はなぜ化粧をしてきたのか 古典から近代文学に学ぶ化粧の意味

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